「正義」とはなにか

先日、伊那北高校の同窓会で、元最高裁判事である那須先生の講演会があり、その中のテーマの一つとして「正義」という言葉が出てきました。
このことについて、少し講演内容を紹介させていただきます。

「いわゆる」正義は「憲法を守ること、法律を守ること」。しかし、法に従って簡単に結論を出したり示せるものは少なく、難しい。結局は裁判官の良心なんだ。ということです。

ただ、実は裁判官は「正義」をやたら主張する必要はなく、「正義」は政治家や行政が語ることであるし、また、やたら正義を言う人は信用できない、とも。
裁判官は、「不正義」を取り上げ、なくしていかなくてはならない(哲学の消極的アプローチ、というようです)、とおっしゃってました。「これは正義だ」と一義的に決めて実行することはできないが、「不正義」を排除していくことをするのなら、消極的なアプローチとして到達することができる、と。
「目の前にある事件で『間違っていること』を排除していく作業」と表現していました。
また、正義の女神像(左手に天秤、右手に剣を持っている像)を裁判官の仕事に重ね合わせ、天秤は「どちらが大切か、自分がなにをすることが一番良いか」つまり良心を表し、剣は「自分の心の迷いを断ち切るもの」をおっしゃっていました。

すみません、講演聞いているときは、とても深くて感銘を受けたのですが、自分のメモ書きをもとにまとめたので、うまく要約できません。少しでも伝わればいいのですが。
憲法第76条第3項に「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。」とありますが、「自分の良心」で人を裁いてしまう、なんて孤独で神に近い職業なのでしょう。

(2013年6月11日 二瓶裕史)

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