憲法改正論議について思う

1 2 3

aroma00

改憲派ではありませんが、故・芦部信喜先生が平成7年に行った講演で、師匠である宮沢俊義先生の言葉を紹介しています。講演録から、少し引用をさせていただきます。

・・・ここから引用・・・

私の指導教授であった、先ほども触れました宮沢俊義先生は、今から約20年前、1976年に亡くなられましたが、その直前に書かれたものの中で、こう述べておられます。「日本国憲法は、過去30年の間に、日本国民の間に定着したといわれる。憲法改正論もいささか下火になったように見える。しかし、憲法を『尊重し擁護する』という看板はそのままにしておきながら、その下で、たくみに憲法をもぐるならわしが生まれつつあるようである。憲法を裏からもぐるよりは、本当に改正の必要な点があれば、表から改正を唱えた方がいい。・・・。」(長野県伊那中学校・伊那北高等学校創立70周年記念継続事業記念講演会記録「平和憲法50年の歩み-その回顧と展望-」平成7年10月21日)

・・・引用ここまで・・・

これは、憲法改正とは直接関係はない、政府が説いてきた自衛隊合憲論(憲法解釈)に対してのことですが、今回の96条改正についても通じるところがあるように思います。いまのままで憲法9条をはじめとする憲法大改正をするのは難しい。だから、改正したいところを改正する前に、改正のハードルを下げてしまう(つまり、裏からもぐる)。
これまでは、憲法9条について国民の間でも大きく議論がなされてきました。9条に関してはやはり反対も大きく、すぐに改正することは難しいという印象はあるのでしょう。そこで、突然(のように)出てきた96条改正です。国民の議論が熟しているとは到底言えません。7月の参院選で争点にするといっていますが、有権者は本気になって憲法を学び、判断をしなくてはなりません。まだまだ先だと思っていた憲法改正の国民投票による国民側の意思の表明。7月の参院選で、前段階の意思の表明をしなくてはなりません。

憲法学において、憲法改正に限界があるかどうか、という議論があります。正規の改正手続によりさえすればどんな内容にも改正できるという無限界説もありますが、通説は、限界がある、という説です。では、どこまでの改正なら可能で、どこまで踏み込むと無効なのか、ということが問題となります。通常は、国民主権・人権の尊重・平和主義から外れるような改正は許されないとします。そして、憲法改正手続に関しても、芦部先生は許されないとします(ただし、国民投票制を廃止する改正について)。

1 2 3

Share on Facebook
LINEで送る